「すべき」こと
前回の「正しい」と同様「すべき」も注意のいる言葉かもしれません。
世界の母乳育児を支援している団体の多くは、2歳か望むならそれ以上の授乳を認めています。
研究で分かってきたことから、理想的には2歳くらいまで授乳を続けると多くの母子にとってメリットがあるということでしょう。
でも、「2歳まで飲ませるべき」と言われたらどうでしょうか。
さまざまな事情でそうできない方には、「私は『すべき』ことができなかった」と悲しくなってしまうかもしれません。
こういう伝え方が、母乳をすすめる人たちは押し付けがましいと思われることがある事態を引き起こしているのではないかとsariは心配しています。
たしかにWHOは http://www.who.int/nutrition/topics/exclusive_breastfeeding/en/ でこんな風に言ってます。
引用
Review of evidence has shown that, on a population basis, exclusive breastfeeding for 6 months is the optimal way of feeding infants. Thereafter infants should receive complementary foods with continued breastfeeding up to 2 years of age or beyond.
should を辞典で調べましたら、「義務」より弱く「勧告」くらいの程度なんだそうです。
訳として「…すべきである」「…したほうがいい」と出ました。
引用の最後の文章は、幼児は2歳かそれ以上母乳育児を続けながら補完食を与えられるほうがいい、のですね。
「~すべし」と言われなくても、「~するといいんだって」と言われると、お母さんは子どもによりよいことをしたいと思っていますから、できる限りそのようにしたいと願うものだと思います。
「このように抱っこして授乳するべきよ」
「24時間で10回は授乳すべきよ」
と言われると、プレッシャーになりそうです。
「すべき」ことができなかったときも悲しくなりますが、「すべき」と言われることをそれまで知らなかった場合、母として知識不足だったと自分を責めてしまうかもしれません。
(注:知らなかったことは責められることではありません。そのときの持てる知識でがんばっているんですから)
「このように抱っこして授乳すると上手に飲めるよ」
「24時間で10回くらい授乳すると、赤ちゃんがよく飲めるんだって」
なんて風に言われると、お母さんはプレッシャーになったり、悲しい思いをせずに、よりうまくいく方法を実行できそうです。
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